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2016.09.27 そばバカ

手打ちそばとの出会い

 葛飾区青戸の不動産会社に勤めていた1999年夏、隣街の 立石のガラガラの駐車場「ローズパーキング」を埋めるために近隣の住宅に駐車場のチラシをポスティングしていました。  立石は、亀有や帝釈天よりもはるかに下町っぽい街で、駅前のアーケードでは昼間から酔っぱらっている人が沢山いて真面目に仕事をするのが嫌になる街でした。  その日はとても暑い日で、駐車場から近い通り沿いのビルの手打ちそば屋と蕎麦教室が併設されている建物を見つけて興味本位で入りました。店に入ると、店はガラガラでそば教室は同じフロアの奥にあり、平日の昼間だというのに中年のオジサン達が一所懸命ソバを打っていました。  その2年ほど前に、東京支店の担当役員に「青戸の所長と合う奴なんかいないから、青戸に飛ばせば大澤もすぐ辞めるだろう。大澤とM坂が居なくなれば東京支店は俺の思うままだ」と、本店の店長から青戸に左遷されてました。すぐにやめるのはく悔しいので意地で会社に行っていましたが、全くやる気は無く次の不動産会社を探し始めていました。  趣味は料理位しかなく、当時蕎麦打ちが流行っていたことも有り、履歴書の趣味の欄に「蕎麦打ち」と書くのもいいなと思い、仕事をさぼって蕎麦教室に顔を出すようになりました。  教室の中には、サラリーマンを辞めて開店を目指す人や、元イタリアンの料理長・そば屋を始めてはみたもののソバが打てないので店を休んで来ている切羽詰まった人。学校の先生や東京電力の取締役で趣味程度でソバを打つ人・北海道から四国・九州まで色々な人がいました。  最初の2.3回は全くうまくいかず悔しい思いをしましたが、良い粉で打った江戸そばが美味しくて「田舎の少し黒くてもそもそしたソバを薄くて甘い汁で食べるのとは全く違う食べ物だ」と「江戸そば」にのめりこんでいき、2000年5月プロコースまで受講して授業で打ち方や製粉は教わったものの・・・。  結局、ソバ打ちの神様と言われた 翁の高橋さんの本やVTR、一茶庵輝きの蕎麦のビデオ20巻をぼろぼろになるまで繰り返し見て勉強しました。ただ、見れば見るほど高橋さんの本の説明と蕎麦会の会場での打ち方が全く違うのが気になっていました。この疑問が解決したのは、つい最近のことです。  8月、習志野市の手打ちそば「玄庵 上おか」を一週間の予定で手伝いに行ったところ、居心地が良くて私が田舎に帰る翌年の6月迄職人としてお世話になりました。  ここでは、汁以外のそば粉の選定やメニュー迄色々とやらせてもらいました。製粉会社の見学に行ったり、通常二八ソバの所週末だけ粗挽き田舎の十割蕎麦を打たしてもらったり・・・今の店でも大変役立っていて、いくら感謝しても感謝しきれないくらいです。また、私を青戸に飛ばしたY常務と「コンナ事で絶対辞めちゃだめだ」と励ましてくれたS支店長にも お陰様で江戸そばと出会えました と感謝?しています。